イタリア語の未翻訳書籍を紹介するコーナー(後に小社から発行となっている作品もございます) 『血と月のあの夏』 エラルド・バルディーニ&アレッサンドロ・ファッブリ /
 イタリアの本棚 第12回


『血と月のあの夏』 エラルド・バルディーニ&アレッサンドロ・ファッブリ /
 イタリアの本棚 第12回
12.Eraldo Baldini & Alessandro Fabbri, Quell'estate di sangue e di luna (Einaudi, 2008)

1999年の夏、毎年一人でイタリアのランチマーゴ村に帰郷していたエンリコは、初めて息子を連れて故郷へ戻った。田園風景を眺めながら、エンリコは息子に自分の幼い頃のあの特別な夏の数日間の出来事を語り始める……

1969年7月は、全世界にとっても忘れられない夏となった。人類が初めて月に到達するという歴史的瞬間が目前に迫っていたのだ。その夏は田園地帯にあるランチマーゴ村の住民にとっても、忘れられないおぞましいものとなった。当時11歳だったエンリコは、友人のビッロ、ヴァレリオ、ジャンといつも一緒に過ごしていた。喧嘩や口論は絶えないが、それでも仲のいい四人組だった。その日、エンリコは医者をしている父の往診に同行する。向かう先は、友人たちのあいだで「魔女の館」と呼ばれている家だ。その妖しげな家(あくまでも子供にとってのイメージだが)に入れたことがエンリコには嬉しくてたまらない。その家には、発作で倒れて以来、全身麻痺して寝たきりとなり、片腕しか動かせない老人アデルモがいた。

テレビで連日放送されているアポロ計画の特別番組に目を輝かせ、その情報について友人たちと語り合い、空を見上げては人類初の挑戦に胸をときめかせる。そんな穏やかなエンリコの夏の日。しかし、些細な喜びや驚きに満ち溢れた村の日常に、暗雲が垂れ込め始めていた。村の誰一人としてその気配には気づかない。いや、唯一人気づいている者がいた。寝たきりの老人アデルモだった。「小麦がそのまま腐り果てようとも決して収穫してはならない……』。アデルモは心の中でそう呟きながら苦悶する。「これから起こることを知っているのは自分だけなのだ」と。だが、口も動かすことのできないアデルモに、その警告を他の誰かに伝えるすべはなかった。

ある晩、かつて経験したことのないほどのひどい嵐が村を襲った。強風、雷雨、そして雹。翌朝、村に甚大な被害をもたらした嵐は収まった。だが、それは不安な日々の始まりに過ぎなかった。まずは粉引き小屋に住む若夫婦が謎の死を遂げる。身重の妻が粉引き機に押しつぶされて死亡、夫はサイロの中で窒息死していたのだ。この事件は村中を恐怖に陥れる。殺人者が村に潜んでいるのか? さらに自然界にも異変が起こる。渡り鳥はすでに飛び立ち、虫や小動物はおかしな動きを見せ、リンゴの実は原因不明の病気で腐ってしまう。そして、村中の飼い犬たちが突然狂ったように吠え始め、飼い主にも噛み付くという事件があちこちで起こった。犬たちは鎖でつながれたが、一部は逃げ出して村人たちを襲い始める。男たちは銃を手にし、逃げ出した犬たちを殺して回った。そんな最中、一人の女性が飼い犬にかみ殺され、一人娘の幼いカルロッタは逃げ出したまま行方不明となる。村総出で探すが見つからない。さらにはエンリコの友人ビッロの弟も行方不明となる。いったい村では何が起こっているのか? 

事件の鍵がそれとなく示される。知的障害があり、しばしば村を徘徊している男が、行方不明の二人の子供の持ち物を手にしていた。犯人はこの男なのか? また、老人アデルモだけがこの事態を事前に予測していたし、ますますひどい状況になることを確信していた。それはいったいなぜなのか? さらには土手の側に建っている廃屋。そこには怪物(もしくは精霊)が潜んでいるという噂があった。エンリコはこの事態がその怪物が引き起こしたものではないかと考え、廃屋に向かう。不安に脅える村人たちの頭上、はるか彼方上空では、人類が史上初の月着陸を成し遂げようとしていた……

本書『血と月のあの夏』は、以前紹介した『狼のように』の著者エラルド・バルディーニの作品だ。今回はアレッサンドロ・ファッブリとの共著になっている。ファッブリの作品は読んだことがないが、ラヴェンナ生まれ、ローマ在住の作家、シナリオライターだそうだ。二人がどのように分担して本書を共同執筆したのかはわからないが、ともかくも「田舎ゴシック」と呼ばれているバルディーニならではの作品に仕上がっていることは間違いない。田舎の村、小麦畑、トウモロコシ畑、果樹園、超自然的な事件、もはや忘れられてしまった伝統的な儀式、神話的古層から立ち現れる怪異、恐怖と不安に脅える村人たち。とはいえ派手な超常現象(そしてその派手な解決)を期待すると肩透かしを食うだろう。確かに異常事態ではあるのだが、それぞれの事件自体は現実に起こりうるものであるし、決して論理的な説明がつかないわけでもない。そうした現実味のある非常事態が、生々しい恐怖を感じさせてくれる。

また、月を目指す人類の挑戦が本書全体の通奏低音として流れていて、これが実にいい味を出している。古代的、神話的なものと科学的な進歩という一見両極にあるもの、その両方を人間は備えている。伝統と進歩と言い換えてもいいだろう。先へ先へと前進していきつつも、脈々と受け継がれていくもの、受け継がれていかねばならないものは存在する。エンリコは、友人や家族とともに経験したこの異様な夏の数日の中で、変わるものと変わらないものとがあることに気づき、大人になっていくのだろう。本書は映画『スタンド・バイ・ミー』的な少年たちのひと夏の冒険としても読める。決して派手さはないが、印象深い作品だ。

エラルド・バルディーニ&アレッサンドロ・ファッブリ『血と月のあの夏』
12.Eraldo Baldini & Alessandro Fabbri, Quell'estate di sangue e di luna
(Einaudi, 2008)
 ~エラルド・バルディーニ&アレッサンドロ・ファッブリ 『血と月のあの夏』~

イタリアの本棚 第12回
2013-04-15