イタリア語の未翻訳書籍を紹介するコーナー(後に小社から発行となっている作品もございます) 『ダヌンツィオの複葉機』 ルカ・マサーリ / イタリアの本棚 第1回


『ダヌンツィオの複葉機』 ルカ・マサーリ / イタリアの本棚 第1回
01.Luca Masali, I Biplani di D'Annunzio (Sironi Editore, 2006)

夜のアドリア海上空を、爆撃機〈シュターケン〉の部隊がパドヴァへ向かって飛んでいく。 そのうちの一機、オーストリア=ハンガリーの軍人であり、トリエステ人でもあるマッテオ・カンピーニ大尉の乗る機体はトラブルのあげく敵に撃墜されてしまった。 時は1921年、第一次世界大戦はまだ続いていた……

ここまででお分かりだろうが、本書『ダヌンツィオの複葉機』の世界は、1918年に戦争が終わった我々の世界ではない。 例えばP・K・ディック『高い城の男』や、日本では高野史緒の諸作に代表されるような、我々の知る歴史とは微妙に(もしくはかなり)異なった世界を描いた、 いわゆる歴史改変SFと呼ばれるジャンルに含まれる作品である。

オーストリア=ハンガリーとドイツによるパドヴァ爆撃は成功したが、マッテオの機体は大破してラグーナに水没。 乗組員もマッテオ以外は全員死亡。謎の女性フラヴィアに救出されたマッテオは、彼女から驚くべき話を聞かされる。 実は、彼女は2021年の世界からやってきたのだ。そして、時間旅行会社〈ベル・エポック〉が歴史に介入し、 オーストリア=ハンガリーとドイツに協力し、第一次大戦を勝利に導こうとしているのだ、と。

本書のタイムトラベルの設定は独特で、〈時間の窓〉と呼ばれる特殊な装置による時間移動は、 約100年単位(正確には31億5300万秒)の移動であり、しかも過去に行って戻ってくるだけ。 つまり2021年からは1921年に行けるが、1922年に行こうと思えば2022年になるまで待たなければならないのだ。

〈ベル・エポック〉は2018年頃から過去への(つまり1918年に対して)介入を開始し、ドイツ軍に情報を流し、 1918年に終わっていたはずの大戦を継続させることに成功した。 こうして二つの平行する時間線が生まれた。 さらには、改変された歴史とオリジナルの歴史とのあいだに決定的な差がついたとき、さらにある特定の条件が揃ったとき、 オリジナルの時間線は改変された時間線によって上書きされることになる。 つまりオリジナルの歴史が、改変された時間線に沿って一気に変えられてしまうのだ。

社員だったフラヴィアは同僚のアウグストとともに会社を裏切り、〈ベル・エポック〉の歴史介入を阻止しようと地道な工作活動をイタリアで行なっていた。 そしてマッテオは二人に協力することを決意する。だが、いったい〈ベル・エポック〉の真の狙いは何なのか? 過去に介入することによって、 未来の世界をどのように変えようと企んでいるのか? その頃、2021年のクロアチアでは、 インターネットジャーナリストであるマシュー・ワーバートンが、とあるセルビア人テロリストを追っていた……

二つの時間線上で繰り広げられる、歴史を改変する者とそれを阻止しようとする者との戦いを描いた『ダヌンツィオの複葉機』は、 イタリアの月刊SF雑誌〈ウラニア〉で毎年行なわれて長編SF小説コンテスト〈ウラニア賞〉の1996年度受賞作である。 〈ウラニア〉の一冊として出版された後、2006年に単行本としてSalani社から刊行された。

すでに変わってしまった歴史の中で、起死回生の作戦を指揮するダヌンツィオ、そして着々とドイツを勝利へと導いていくヘルマン・ゲーリングなど、 虚実入り乱れた多彩な登場人物、なかなか明らかにならない〈ベル・エポック〉の真の目的、 使用される現代技術、軍用飛行船も加わっての手に汗握る空中戦など、ぎっしり詰め込まれたサービス精神で読者を楽しませてくれる。 特に複葉機のドッグファイトは妙に描写が細かい上にノリがよくて、非常に力が入っている。 ドラマ自体は目新しさに欠ける部分も多々あるが、それもお約束として楽しめる。

本書に独特な味付けをしているのが、〈ベル・エポック〉の目指している世界である。 第三帝国実現を餌にドイツを釣って、いったい何を企んでいるのか? ネタばれになるので詳しくは言わないでおくが、 これにはバルカン半島の情勢が大きく関わっている。 さらには、本書の主人公マッテオがトリエステ人だという点も重要だ。 かつてトリエステはオーストリアの統治下にあり、その中で生きてきたマッテオは独特のアイデンティティを持っている。 そんな彼が「祖国」を裏切る行動をとることを決めたのはなぜか? 本筋には大きく関わらないが、 彼がダヌンツィオに自分のことを延々と語るシーンは非常に印象深い。

クライマックスが近づくと、中心となる舞台は2021年に移り、これまでと少し趣の変わったサスペンスドラマが展開される。 駆け足すぎるのと、都合がよすぎるきらいはあるが、それでも十二分にスリリングであり、 余韻の残るエンディングもなかなか印象的だ。現代イタリアSFを代表する一冊である。

ルカ・マサーリ『ダヌンツィオの複葉機』
Luca Masali, I Biplani di D'Annunzio
(Sironi Editore, 2006)
 ~ルカ・マサーリ 『ダヌンツィオの複葉機』~

イタリアの本棚 第1回
2012-04-17